引用元:https://osshinji.com/memorial/burialtogether
| 会社名 | 乙津寺 (通称:鏡島弘法) |
|---|---|
| 住所 | 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号 |
| TEL | 058-252-2062 |
近年は、お墓の継承者不足や管理負担への不安から、永代供養を検討する人が増えています。そのような中で注目されているのが、岐阜市鏡島にある乙津寺です。奈良時代から続く長い歴史をもち、地域では「鏡島弘法」として親しまれてきました。本記事では、乙津寺の歴史や信仰の特徴、さらに永代供養が選ばれている理由について解説します。
行基菩薩と弘法大師ゆかりの1200年以上続く歴史ある寺院
乙津寺は、奈良時代の天平10年(738年)に行基菩薩によって開かれたと伝えられる由緒ある寺院です。当時、この地域は「乙津島」と呼ばれる孤島であり、行基菩薩がこの地に着船して十一面千手観音像を刻み、草庵に安置したことが始まりとされています。その後、弘仁4年(813年)には弘法大師空海が乙津島を訪れました。伝承によると、弘法大師は37日間にわたり祈願を続け、法鏡を龍神に捧げたところ海が陸地へと変わったといわれています。
この出来事にちなみ、この地域は「鏡島」と呼ばれるようになり、寺院も乙津寺と名付けられました。さらに嵯峨天皇の勅命により、弘法大師は七堂伽藍や鎮守などを造営したと伝えられています。
その際に立てた「梅の杖」が根付き枝葉を広げたという逸話から、乙津寺は「梅寺」としても知られるようになりました。しかし、中世には洪水や戦乱の影響によって衰退の危機を迎えます。そこで天文14年(1545年)、鏡島城主であった石河駿河守光清によって伽藍が再建されました。
また、京都妙心寺から孤岫宗峻禅師を招き、禅と密教を兼ねて学ぶ道場として再興されたことから、現在は臨済宗妙心寺派の寺院となっています。1200年以上にわたり人々の信仰を集め続けてきた歴史こそが、乙津寺の大きな特徴のひとつといえるでしょう。
国の重要文化財を守り伝える信仰と豊かな自然環境
乙津寺のご本尊は、国の重要文化財に指定されている十一面千手観世音菩薩です。天平時代に制作されたとされる貴重な仏像で、創建以来1200年以上にわたり大切に受け継がれてきました。十一面観音の頭上にある十一の顔は、人間のさまざまな感情を表しているとされます。また、左右に広がる四十本の手には、それぞれ二十五の救済の意味が込められており、多くの人々を苦しみから救う慈悲の象徴として信仰されています。
境内には弘法大師ゆかりの梅や御神木のクスノキがあり、四季折々の自然を感じることができます。さらに寺の北側には清流長良川が流れ、豊かな自然に囲まれた静かな環境が広がっています。
また、門前には石河家先祖代々の墓である五輪塔が残されています。この五輪塔は岐阜県最古級の墓とされ、戦国時代以前の歴史を今に伝える貴重な文化遺産です。
寺院の歴史だけではなく、地域の歴史を知るうえでも重要な存在となっています。乙津寺は単なる供養の場ではなく、長い歴史や文化財、自然環境が一体となった地域の精神的な拠り所です。住職も「お寺は誰にでも開かれた場所であるべき」と語っており、宗派を問わず多くの人々が気軽に参拝できる環境づくりが行われています。
永代供養で選ばれる理由と安心してまかせられる供養体制
近年の乙津寺が注目を集めている理由のひとつが、永代供養への取り組みです。少子高齢化や核家族化が進む中で、「お墓を継ぐ人がいない」「子どもに負担をかけたくない」と悩む人は少なくありません。乙津寺では、そのような不安を抱える方々のために永代供養を行っています。宗派を問わず受け入れており、寺院が責任をもって供養と管理を続けるため、継承者がいなくても安心して納骨することができます。
永代供養墓として用意されているのが「涅槃の霊廟」です。涅槃像のもとで眠る合祀墓となっており、自然へ還るという考え方を大切にしています。また、芳名板に名前を刻むことで、この地に生きた証を残すことができます。
供養面でも安心できる体制が整っています。納骨後も毎月第4日曜日には僧侶による読経が行われ、ご家族に代わって継続的な供養が続けられます。納骨して終わりではなく、その後も心を込めた供養が行われる点は大きな魅力です。
費用面も分かりやすく、年間管理費や檀家料は不要です。初回の冥加料のみで永代供養費、納骨料、芳名板彫刻料、永代管理費が含まれており、将来的な追加負担を心配する必要がありません。
さらに、墓じまいや改葬にも対応しているため、現在のお墓の管理に悩んでいる方にも利用しやすい環境が整っています。見学や個別相談会では住職が直接対応し、供養内容や手続きについて、ていねいに説明してくれるため、初めて永代供養を検討する方でも安心して相談できます。